From Taiwan to Italy and the world: a tale of Italian street art
私たちの物語は台湾の台中市南屯区からスタートする。1924 年生まれの黄永阜は、現在、同地に自分で創作したレインボー・ヴィレッジ(彩虹眷村)を訪れる
年間100万人を超える観光客を迎え入れている。かつて軍の居留地であった村の取り壊しに反対するため、高齢の彼は、家(村を形成する1200軒のうち、11軒の
み)や道路、さらにあらゆる場所を、鳥や動物、人物、抽象的なイメージをカラフルな色と独特のフォルムで装飾し始めた。これが、黄永阜が人々から親しみを込
めて“彩虹爺爺(虹のお爺さん)”というニックネームで呼ばれる由縁である。ジョアン・ミロと宮崎駿の夢溢れる絵とスタジオ・ジブリ作品の特徴を組み合わ
せたような、生き生きとした子どもらしい想像力で、黄永阜の絵画には、彼の思い出や先生、中国の田舎町で共に遊んだ兄弟姉妹が描かれている。
“彩虹爺爺”からイタリアまで、私たちの旅では、現在のイタリアのストリートアート、そして黄永阜のように変わり映えのない平凡な日常生活の違う側面を全
世界に向け発信するストリートアーティストに焦点を当てて行く。
CIBO
チーボの芸術作品は、環境の充実と、創作活動による文化的貢献を通して、より豊かな環境へ導
くことを目的としている。ストリートアートとそこに込められたメッセージは、見る人にダイレクトに
伝わり、その後も心の中にずっと留まるパワーを持っている。彼の作品は、故郷であるヴェローナの
街で、建物の壁に描かれた人目を引くヘイトシンボルやヘイトメッセージを消し去ることを意図して
いる。彼は、壁に描かれた卍マークやヘイトシンボルを彷彿させる物の上に、大抵の場合、自らの芸
術的インスピレーションに従い、イチゴやスイカ、食べ物などを描き、覆い隠しているのである。
まさに台湾の黄永阜のように、チーボは、見る人の思考の中でアートに重要な役割を与え、私たち
にとって、アートとは食べ物のように、資産であり、また資源であることを思い出させてくれるので
ある。
JORIT AGOCH
ジョリット・アゴッシュは、イタリア人の父親とオランダ人の
母親を持つ、ナポリ生まれの国際人だ。彼は、10代の頃
からスプレーを使い、建物の壁に自分のアート作品を表
現してきた。アゴッシュは、自作の壁画を通して、人物に
焦点を当てた物語を語り、写実的に描いた人物の顔の頬
に2本の赤いラインを加えることによって、アートに無関
心な人の心にも新たな刺激を与えようとしている。
そうすることによって、ジョリット・アゴッシュは彼の捉え
る“人間部族”に属する人間たちの顔を、まるで写真のよ
うに描写し、すべての階級制度が廃止された世界を描い
ているのである。
MAUPAL
ローマのボルゴピオ地区の建物の壁に出現した、モウパルのスーパーポープ
(スーパー教皇)は、世界中で知られている。それは、ピンと伸ばした腕と握
りこぶしでお馴染みのスーパーヒーローのポーズで決めた教皇フランシスコが
描かれた壁画である。モウパルによる同じ壁画は、ルルドの街の聖母マドンナ
の出現を記念して、イタリアのラクイラで使用されていない店のショーウインド
ウにも描かれており、現在は、地震災害の打撃から未だ復興途中の街を勇気
づける好意的なシンボルとなっている。
スーパーポープの壁画は、アーティスト本人が教皇に面会し、同作品を再現し
た絵を贈ったにもかかわらず、即座に消されてしまった。また、モウパルは、
ローマのカンパニーレ通りのリオーネ・ディ・ボルゴの壁に描いた、スイス兵に
監視される中、教皇フランシスコがナイン・メンズ・モリスゲームをしている壁
画で、再び取り締まりを受ける事となった。モウパルの犯した過ちとは、きっ
と、建物の壁に、人々に一瞬で理解され、ずっと語り草となるようなシンボル
を描いてしまった事なのだろう。
WALLY AND ALITA
ウォーリーとアリータは、手描きの線画やポスターのほぼ
全体部分にステンシルを重ねた技法で仕上げた作品で、
アーティスト活動を始め、それにより、ストリートアートの世
界で名声を博したアーティストである。やがて彼らは、ミラ
ノのオルティカ地区を拠点に、Orticanoodlesのアーティ
スト名で活動を進化させ、ヨーロッパの主要都市で開催さ
れた展覧会では、非常に高い評価を得た。ステッカー作り
やポスター貼りから始まった彼らの活動は、その後、ポップ
アートをベースとした、ステンシル技術を駆使した作品に
焦点をあてた創作へと移行して行った。
彼らの最新の作品は、ステンシルの上にステンシルを重ね
るという新しいコンセプトに沿った物で、それらは、有名な
指導者や象徴的な人物、もしくは芸術家の肖像画の上に
言葉をオーバーラップして、一体化させる。それがまるで、
肖像画の人物が見る人に話しかけているかのような印象を
与えるのである。
BIANCOSHOCK
ビアンコショックにとっては、三次元となった建物の壁や、部位特異的な場所が、ストリートアート
の恰好の舞台である。言わば彼の創作とは、毎日見慣れたアーバンファニチャーに対する私たち
の見方を変え、都市全体が彼の‘キャンバス’となるように仕組んだ巧妙な作戦である。
ロディとミラノの間に広がる寂れた地域で実行された彼のボーダーラインプロジェクトは、今もな
お、言葉通り、地下での生活を余儀なくされている人々の劇的な生活環境を皮肉っぽく表面化さ
せることを意図している。ビアンコショックは自らのサイトでこう語っている。“一定の危機的状況
を回避できないのであれば、少なくとも快適になるようにするべきではないだろうか”と。看板やゴ
ミ箱、どんな街にも必ずある物に、新たな関連性が与えられ、普段はそれらを見過ごすだけの通
行人が、今では、知らず知らずのうちに芸術的オブジェクトに面と向かい合っているのである。
彼の創作は、日常の中にあるアーバンファニチャーにオリジナリティーを持たせ、全く新しい異
なった観点を呼び起こし、多くは単調な街に生きる人々に、それまでとは違う新しいビジョンを切
り開く手助けをするのである。