True educational punk: Polimoda’s Danilo Venturi
By Marlo Saalmink.
世界は崩壊へと突き進んでいる。いったいどこに希望を見い出せば良いのか?誰に癒しを求めればよいのか?ここ、ポリモーダ・ファッションスクールでの対処方法を見てみると、新世代の創造力が世界を変えるべくその時を待ち受けている。フィレンツェに流れる雄大なアルノ川沿いに位置する、最前線のファッションスクールでは、ファッションシステムを内部から再構築して来た。ここでの舵取りを任されているのは、経験豊富な教育者であり、ライター、またブランドマネージャーでもあるダニーロ・ヴェントゥーリだ。彼は、独自のやり方で物事を遂行する人物である。ポリモーダの変革の動機とは?ダニーロ氏に尋ねてみました。
死ぬには遅すぎる。
若い頃のご自身について教えて下さい。
私は90年代に青年時代を過ごし、青春を謳歌していました。思い返すと、その頃は全てが政治という時代で、ゆっくりながらも大変革が立て続けに起こる世紀末の時を私たちは生きていました。その10年間で、世界は完全に変化しました。ベルリンの壁の崩壊からグローバリゼーション社会への移行。また、インターネットが到来し、携帯電話が普及しました。当時の私は、グランジとヒップホップという、ジャンルは違えどもどちらとも反逆心を持った音楽に夢中になっていた事を覚えています。同時に、かなりたくさんの本も読んでいました。その殆どは哲学書でした。また、ファッションにも深くのめり込んでいました。
死ぬには若すぎる。
貴方は教育者であり扇動者でもあります。ご自身が、一番最初に担当された授業を覚えていらっしゃいますか?また、その際のエピソードなどは?
生徒一人一人の名前から、その日の天気まで克明に記憶しています。この業界で働く前、私自身もここで修士号を取得していたので、その私がポリモーダで教鞭を取れる事を非常に光栄に感じていました。私は、若い教師の強みとは、生徒と全く同じ観点から物事を考察出来る事だと信じています。生徒と教師の対話は、ジェネレーションX世代(1960年代から1970年代に生まれた世代)とジェネレーションZ世代(1990年代中盤以降に生まれた世代)との関係に似ています。考えてみると、このスクールは、まさに一つの大家族ですね。
若者たち。
ファッション業界の一員になりたいと願っている若者たちの意識を最大限に覚醒させるにはどのようにすればよいのでしょう?
産業界であろうと教育現場であろうと、それぞれの領域で現代に変化をもたらす為には、ユニークでなければならないと思います。ここで、貴方の心を豊かにする為のアドバイスをしましょう。まず、時代錯誤な事をして下さい。テレビの連続ドラマを観たり、ひっきりなしに携帯電話をチェックするのはやめましょう。代わりに、電子書籍ではなく紙に印刷された本を読み始めましょう。そして、ページの余白に気付いた事をメモに取っていきましょう。メモを取るという作業は、コピペなどを遥かにしのぐ、自分独自の見解を引き出す手助けとなってくれます。もしくは、全く逆の方法を取ってみたり、道に迷ってみるのも、また一つの方法です。
セクション。
ポリモーダ流反逆精神の核となっている物は何ですか?
私たちのやり方は、主に3つの反逆精神の選択肢から成り立っています。
反逆精神 No.1 – 私たちの教育機関は、政府からではなく、代わりにファッション界をリードするLVMH、Richemont、Gucci、Valentino、Ferragamo、Missoni、Vogue Italiaといった企業の協力により認可されています。これにより、スクールを常に機能的に維持する事が出来ます。反逆精神 No.2 – こういった企業からの協力体制に加え、私たちは、継続的に外部から良き指導者やゲストをスクールに招待しています。その機会に生じる人と人との対話は、いつでも素晴らしい物です。反逆精神 No.3 – スクール自体を一つのファッションブランドとみなし、生徒たちにファッションショー、イベント、リサーチ、そして応用プロジェクトの企画を任せています。ウェブサイトも生徒の担当です。このスクールは、事実上、完全に生徒たちによって運営されているのです。
新しい従者。
巣立って行く生徒たちが、習得すべき心構えとは何でしょうか?
生徒たちは、十人十色です。私にとって本当に大切なのは、彼らが在学中にそれぞれの個性を発展させる事と、仕事に必要なスキルを身につけてくれる事です。この二つを達成できれば、将来、他人に迷惑をかける必要はありません。なぜならば、自分自身と自分の可能性に集中できる為、公正な人間でいられるからです。私は生徒たちが彼らの人生に於いて、大胆かつ激しくあれと願うと同時に、周りの人々に対しても、正しくあって欲しいと願っています。私たちの社会に、もうこれ以上の対比は必要ないのです。
もう一度チャンスを。
フィレンツェのストーリー(歴史)に於ける役割をどう解釈されていますか?
フィレンツェは美しい街です。生活水準は高く、きちんと統制がとられ、治安も良い街です。街には芸術と歴史が溢れ、文字通りその上を歩く事が出来ます。街の美しさは、しかしながら時に大きな負担となる事があります。その美しさがゆえ、この街には現代文化や起業家精神が欠落していると、私は感じています。創造力が、経済の起爆剤とならなければなりません。
夢の国。
もし、この素晴らしいスクールで指導をしていなければ、どこで自分自身を発揮されていたと思われますか?
その答えを考えることすら、なんだかおかしな感じがします。人生には、開ければまた次から次へと別のドアが用意されていますから。私が大学で政治学を学び終えた時、研究者として大学に残らないかと誘われましたが、その時、DJとして稼いでいた収入の方が遥かに良かったので断りました。音楽を通じてファッションの世界へと入り、ファッションを通じて教育の道へと辿り着きました。とどのつまり、私は最終的に、最初にオファーされた事をやるに至ったという訳です。考えてみると、私が以前働いていたランジェリーブランドのLa Perlaの創設者は、元々心臓外科医(heart=心臓)でした。結局のところ、彼は彼でずっと心 (heart=心)の問題を解決する仕事をしてきたという事です。