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Why Japan – a blue journey through US, Europe and Japan

written by Stefano Aldighieri.

ジーンズ業界に携わる人々の多くに「最高のデニムとは?」と尋ねれば、十中八九「もちろん、日本製!」と答えることでしょう。少なくともここ30年間なら。

Why Japan - a blue journey through US, Europe and Japan

もちろん、「最高」が意味するものは大いに主観的でもありますが、世界最高のデニムとジーンズは日本製だと、一般的に認識されていることは否めません。それはなぜでしょうか?私は今年の111日、2日に東京で開催された#denimsandjeansjapanショーで、経時的および地理的なデニムの誕生と進化についての講演を行うように、Denimsandjeansからお招きいただきました。
この講演では、歴史的な観点から話を始めました。数世紀前にさかのぼって、どこで誰がデニムを生み出したのかを突き止めようとしたのです。その答えを簡単に言えば、「わからない」です。
もちろん、フランスのニームやイタリアのジェノバだという都市伝説は、誰もが耳にしたことがあるでしょうが、いずれもインディゴコットン製品紡織の確固とした歴史はありません。私の見解では、発祥の地としてより可能性が高いのは、イングランド北部の暗い過酷な工場でしょう。世界最大の綿紡績業者を抱え、インディゴ染料が入手できたからです。もちろん、占領していたインドからですが。

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いずれにせよ、今日私たちが愛用しているデニムができたのは、間違いなくアメリカ、より正確に言えばニューイングランドです。世界で最も重要な織物工場となったAmoskeag Manufacturing Companyは、アモスキーの滝の近くで創業し、何年にもわたって巨大な企業に発展した後、結局は創業から1世紀を経た1930年に完全に消滅しました。同社は、1800年代から1900年代初頭にかけて、(今日のジーンズの大半を生み出した)サンフランシスコのリーバイ·ストラウス&カンパニーにデニム(とその他の生地)を初めて供給した初代のサプライヤーでした。
1950年代、60年代、70年代へ話を進めると、当時の映画やテレビ番組、アメリカ音楽の人気により、デニムは実用的な製品であるワークウェアから、大衆向けの普段着へと変化を遂げます。
デニムが世界中を席巻したことで、他の国々も独自のジーンズと独自のデニムを作り始めました。
ここから明確な違いが生まれ始めます。ヨーロッパ人にとって、デニムは「ファッション」製品でした。そのため、この生地は進化を続け、シーズンごとに異なる「新しい」ものを提供しようとしたのです。ちなみにクラウディオ·ブジオールは、80年代に自身のブランドReplayで日本製のデニム(クラボウ製)を採用した最初のイタリア人です。
中国やその他の製造ハブが、米国や欧州の顧客が要求するデニムを作り始めましたが、独自の特徴を生み出すまでには至りませんでした。
日本は違いました。ジーンズを製造していた初期の日本の工場は、もっぱらアメリカからデニム生地を輸入していたのです。
日本の製造者と顧客にとっては、Levi’sLeeWranglerが製造した「オリジナル」のアメリカ製ジーンズにできる限り忠実な製品であることが、非常に重要でした。

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日本で誰かがデニム生地を作り始めるのは、必然の結果だったのです。
まず、もう1つの神話を払拭しましょう。この業界では、長年広まっていた言い伝えがあります(今でもそう言う人もいますが)。日本のブランドの中には、Levi’sから古い織機を購入してデニムを作っているところがあるというものです。これは完全にフェイクニュースです。Levi’s1台も織機を所有したことがなく、生地を1ヤードすら製造したこともありません。アメリカの織機は1台も日本に輸出されておらず、日本製のデニムはすべて、日本製の織機、主に豊田(トヨタ株式会社の一部)で作られています。

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もちろん、日本には非常に長い織物の伝統があり、何世紀にもわたってインディゴの生産と染色が行われてきました。この染料は多くの伝統的な用途に使用されていましたが、ジーンズ需要によって日本の製造業者が新しい選択肢の模索を「強いられる」まで、デニムは日本の織物には含まれていませんでした。倉敷の紡績会社「倉敷紡績」、通称「クラボウ」は、1888年以来、綿糸と綿生地の製造を行なってきました。幾度かの試みを経た1973年、ついにジーンズ業界に販売できるデニム生地を完成させました。これが今や伝説となったKD-8(クラボウデニム8回目の試行)です。
70年代にこの生地を使ってジーンズを作った最初の地元ブランドはBig Johnだったと思います。ここから先は、皆さんご存知の通りです。この地域に多くのブランドが急増しました(私の見解では、デニムの聖地を名乗る各都市に敬意を表しつつも、すべての愛好家にとっての真のデニムの聖地は、児島だと思います)。
70年代後半から80年代前半にかけて始まったムーブメント「OSAKA 5(大阪ファイブ)」(Studio D’ArtisanDenimeEvisuFullcountWarehouse)は、今日まで世界で最も優れたジーンズを生み出し続けています。他にもいくつかのブランドが、個性的な製品で世界中から高い評価を得ています。ほんの数例を挙げると、45rpmKapitalEvisuSamuraiHRMなどです。また児島、大阪、東京に拠点を置く多数の小規模ブランドは、世界中のデニム愛好家から常に引っ張りだこです。

世界最大の小売業者の1つであるユニクロでさえ、非常に手頃な価格で提供している高品質のデニム製品は、その多くが日本製の生地で作られています。
また、おそらく日本には世界最高のビンテージデニムセレクション(ほとんどがアメリカ製)があることも一因でしょう。これらの理由により、類まれな生地やジーンズウェアからインスピレーションを得るために、今日でも、欧米のあらゆる有名ブランドから数多くのデザイナーや製品開発者が定期的に日本を訪れています。

Why Japan - a blue journey through US, Europe and Japan

だからこそ、ブルージーンズの世界で日本がこれほど重要だと、私たちは確信しているのです。